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府中の歴史

旧石器時代からの遺跡が確認されており、分梅町・美好町付近には古墳群もあります。
大化の改新後、国司が東国に派遣された際、武蔵国造の根拠地・大宮を避け、府中の地に武蔵国の国府が置かれました。
国府は大國魂神社付近と推定されています。
江戸時代には甲州街道沿いが宿場町として栄え、周辺の農地は大部分が天領でありました。
明治時代以後は北多摩郡の郡役所が置かれ、昭和になって軍の施設(府中基地)も置かれました。しかし、第二次世界大戦期まで主な産業は農業でした。
第二次大戦後は、1950年代以後に宅地開発が進み、行政機関、病院、大企業の研究開発所および工場機能の集積も相まって人口が急増し、東京都下の拠点都市として発展しています。

交通と働く街

武蔵野線、南武線、京王線の交差駅を持ち、道路網では甲州街道、中央自動車道を介して東西の区部と郊外とを結び、府中街道、鎌倉街道を介して南北の神奈川県(川崎市・相模原市方面)と埼玉県(所沢市方面)を結ぶと交通の便もあります。
医療、高齢者福祉、環境などあらゆる面で高度なサービスを行う、先進的な街でもあり、夜間人口と、昼間人口がほぼ同じ、地元に住む人が地元で働く街でもあります。
そのため、生活の充実度が非常に高い街としても有名です。